清水建築の成り立ちや、仕事に対する思いをつづります。

会社紹介
清水建築の足跡

当社は、2006年(平成18年)に、現代表である私・清水美秀が個人事業として開設し、2016年(平成28年)に法人化を行い、今に至ります。
会社としては一代となりますが、「大工」としては二代目です。腕の良い大工である父に倣い、同じ道を歩むことを選びました。
私が今、多くの家づくりに関わることができるのは、多くの仕事仲間や建設会社の皆さん、そしてお客さまの支えあってこそです。
その感謝の気持ちをこめて、当社と私の足跡を語らせていただきたいと思います。
お茶でも飲みながら読んでいただければ幸いです。


1994年・美秀16歳
厳しい時代に大工に弟子入り

私が大工として正式に弟子入りしたのは、16歳の時でした。中学を卒業し、高知工業高校定時制に通いながらのことです。師匠はもちろん父親です。
父の背中をずっと見てきたので、大工になることにはあまり抵抗を感じなかった、というよりは、他の選択肢を思い浮かべることを特にしなかったという感じでした。

夕方から高校に通いながら、昼間はがっつり外で大工仕事という毎日は、今思うと「よくできたなあ」と自分で自分を褒めたい気持ちになりますが、それ以上に大変だったのは、景気が傾いて建築の仕事が激減したことや、プレカットの技術が進化し、大工に頼っていた仕事が激減したことです。非常に苦しい時期でもありました。
しかし、そのような状況下でも父は根気よく私を育ててくれました。

前向きな父と、父の仕事仲間に励まされ

一時は、「このままでは大工では食べていけないのではないか?」という不安が正直ありましたが、「辛抱して続けていればなんとかなるだろう」という父親の前向きな言葉と、工務店の方や大工仲間の皆さんの励ましや協力もあって、大工の見習いを続けることができました。

いろいろな工務店や仲の良い大工さんの応援に二人で出向き、できるだけたくさんの現場を経験させてもらいました。「若い時にいろんな現場で仕事をするのは、絶対にいい経験になる」と、声を掛けてもらうこともしばしば。
そのたびに、父親が大工として積み重ねてきた仕事が、多くの人との人間関係を築いているのだ、ということに気づかされました。

父は自分のことを多くは語りませんが、周りの人の私に対する接し方で、父がどれだけ信頼されているかということが伝わりました。この「信頼」は、特に贅沢をするわけでもない、仕事が趣味みたいな父にとっての見えない財産だと感じ、その財産を自分のために使ってくれていることを心に刻み、照れくさい言葉ですが「一所懸命」仕事を覚えました。

「孫の仕事を一人前にするのが最後の仕事」と言いながら、父は今でも現役で頑張ってくれています。

苦しい中にも素晴らしい出会いがある

私が見習い期間を終えたのは、四年後でした。相変わらずの不景気で、父に依頼のあった小工事(1日~数日で作業が終わるリフォーム)の仕事などをアシスタントするなど、綱渡りのような状況ではありましたが、なんとか大工として仕事を続けていくことはできていました。

ちょうどその頃、「わ・わ・わ♪」のCMソングや、分譲マンション「ビ・ウェル高知」で知られている「和建設株式会社」さんより、とある新築物件の大工工事の依頼があり、大工工事を父と担当しました。
完成後、施主さまからお招きをいただいた落成祝の席で、ひとつの出会いがありました。和建設の小松専務取締役です。

小松さんと、何気ない会話からなぜか話が弾んでいきました。私は小松さんに「今の私たち大工の課題は、仕事の受注が安定することです」と話しました。すると、「それはウチも同じこと。また、工務店は大工さんの力があって成立しているから何とか私たちが安定した供給をできるように計らいたい。大工さんに回す仕事がない=ウチも困っている、ということですからね。社員も多く抱えているし。」と親身に言葉を返してくださりました。

そして、小松さんは「現場のショールーム化」という言葉を私に投げかけました。


「現場のショールーム化」を実行。
法人化のきっかけに。

受注の安定化を図るためにクリアすべきことはたくさんあるが、まず一番最初に実行したいのは「現場を常に片付けておくこと」イコール「現場のショールーム化」ということでした。大工さんに手間をかけさせてしまうことにはなりますが、皆が協力さえしてくれたら明日からでも実現可能な取り組みです。
「工事現場をきれいにし、いつ誰に見られても良い状況にしておくことで、仕事が丁寧に行われていることをお客さまにアピールできる、地道なことかもしれないが、それは必ず受注につながっていく」と、小松さんは話を熱心に続けてくれました。

たしかに、当時の建築現場はどこも散らかっていたと思います。私を含め、大工は「それが当たり前」だと思っていましたが、小松さんの話に「お客さまから見たらそうなのかもしれない」と同意するところがありました。しかし、今までこのスタイルで仕事をしてきたので、できるかどうか不安なところもありました。
でも、誰かが始めなければ変わることはできない。現状が少しでも良くなる可能性があるならやってみるべきだ。費用もかからず、新しい技術や資格が必要なわけでもない、ちょっと時間がかかるだけだ。
そういう気持ちが湧き、「そのぐらいのことで良ければ協力します」と言ったものの、実際の現場では大変でした。でも、自分が小松さんと交わした約束を破るわけにはいかない。これを破ることは、父が長年築いてきた「信頼」という名の宝物を失うことでもある、と肝に銘じ、20年以上継続しています。

作業中の美化に努めると、休憩もすがすがしいのです!

それがすべて…というわけではないと思いますが、結果的に和建設さんはもちろんのこと、いろいろな建設会社からの受注が少しずつ増えていきました。また、直接施主さまから受注をいただくことも多くなってきました。大工工事だけでなく、建築工事業も手掛けようと頑張ることができたのもこのエピソードがきっかけです。
この経験のおかげで個人事業から法人成りすることができました。

大工の仕事についてだけでなく、自分の将来についてもいろいろと考える時期の、小松さんとの出逢いは、貴重なことでした。現在、小松さんの息子さんが和建設で施工管理者としてバリバリ仕事をしており、2022年の春に自宅を新築される際には、大工としてご指名いただき、父と私、そして私の息子の3人で建築に携わりました。

お互い二代に渡って縁のある小松さん。
ご自宅の建築に大工で関わることができるのはうれしいことです。

自分を育ててくれるお客さま

和建設さんでの建築工事がきっかけで、長きに渡ってご愛顧をくださっているお客さまTさんのお話をしたいと思います。

父が手掛けた、とある託児施設の建築工事を園長さんが気に入ってくださり、「いい仕事をするから自宅の増築をお願いしたい」と父に依頼があり、和建設さんからも承諾をいただいて直接お受けすることになったのがお付き合いのはじまりです。
その当時、大工見習中であった私は、父について仕事を教わっていました。Tさんのお住まいは、1970年に建てられた立派な日本建築です。ご主人は農業を営まれていて敷地も広く、庭も立派です。
依頼いただいたのは、母屋の横に建てられていた離れを増築する仕事でした。

ある日、私はTさん宅の工事中にケガをしてしまいました。情けないやら恥ずかしいやら、でも痛みとこの状況をどうやって収めようか焦っていた時に、なんとTさんが病院まで連れていってくださったのです。

今でこそ、一級建築士の資格もとり、小さいながらも会社を経営しておりますが、当時は本当に頼りない子どもだったと思います。
そんな、見習いの私を知っているTさんご夫婦は、お客さまでもあり、第二の父母のような存在です。
「家のことは、清水建築さんにおまかせしていたら安心!」と、何度発注いただいたか思い出せないくらいです。住まいを大切に使われており、大工仕事の良し悪しの品定めもしっかりできるお客さまなので、時には厳しいご指摘もいただきますが、包み隠さず何でもお話してくださるので、ありがたい存在です。

家を長生きさせる

Tさんのお宅の母屋は、しっかりした書院づくりの床の間がある日本建築です。障子やふすま、引き戸も建具屋さんが技術を駆使した誂えものだったり、麻の葉模様を形どった欄間(らんま)があったりと、日本の大工さんの技が凝縮された意匠性があるため、見習いの時の私には教科書のような役目も果たしてくれました。

しかし、諸行無常…「形あるものはいづれは朽ちていく」ものです。立派な瓦を積んだ屋根でしたが、屋根の重みで建物本体に歪みなどが生じており、また雨漏りの症状もありましたので、2021年に思い切って屋根をふき替えることにしました。屋根材は「ガルバリウム鋼板」です。金属屋根は雨が多く、夏は日差しがきつく冬は空気が乾燥する高知の気候には一番おすすめできる屋根材です。
気になるデザインですが、最近では加工技術が進み、さまざまなデザインの金属屋根材からお選びいただけるようになっています。(ちなみに、浅草の浅草寺の五重塔は金属屋根です。)
立派な瓦を使っているので、名残惜しい気持ちもありましたが、金属屋根にすると屋根の重さが1/3になるので、「背に腹は代えられぬ」ということで、一大リフォーム工事となりました。

Tさんのご主人が20歳のころにお父さまが腕の良い大工さんに建ててもらったという家を、縁あって、私たち親子が手入れを引き継がせていただいています。仕事の細部にまで心がこめられていることが伝わります。Tさんもとても大切に住まわれていることがわかります。
その思いをしっかりと受け、大切に扱いたいといつも思っています。

目指せ、築100年。

当社が建てる家も、そう思ってもらえるようになりたいですね。

長男の弟子入りの喜びと人材育成

2022年の春。私にとって、そして父にとってもうれしい出来事がありました。長男が大工に弟子入りをしたのです!
小さい頃から父と私の仕事をずっと見てきたからか、「自分も将来は大工になる」と言ってくれていました。でも、一時期「看護師になりたい」と言われ、少し残念な気持ちになっていました。そろそろ進路を固めていかなければならない高校3年の夏休みに、お小遣い稼ぎで仕事を手伝ってもらった際、再び「やっぱり大工になる」宣言が息子からあった時には、心でガッツポーズをとりました。

建築士資格試験勉強中の私のそばで一緒に「勉強」をする長男

高校を卒業し、正式にユニフォームを着て「清水建築」の社員として、わからないなりに、自分のできることからなんとか仕事に溶け込もうと頑張っている息子の姿に、自分の面影を重ねる瞬間があります。

そして、もう一つ思うことがあります。若手の大工不足です。不景気が続いた時に若手を育てられなかったことや、昔の大工見習の「小遣い程度の給料で住み込みでみっちり働かされて休みがない」というイメージが付きまとっていることは否めません。
でも、今は改善され、私たちが見習いだった頃のようなことはありません。
しっかりと技術を磨き、大工としてひとり立ちができたら貴重な人材となります。一生困ることのない仕事だと思います。

そこで今、清水建築で「人材育成」の窓口を公開することにいたしました。
このホームページを立ち上げたのも、いろいろな理由はありますが、「若手の育成」に力を入れたいという思いが大きいです。



これからもお客さまのために、仲間とともに

清水建築スタッフと山の中の小さな工務店(宮脇建築)宮脇さんとスタッフ/山崎さん親子



これから、どんな未来が私たちを待っているのでしょう。
日々流れてくるニュースを読むたび、「未来のことは誰にもわからないなあ」とつくづく思います。
しかし、どんな明日が来ようと、人が居る・生活がある・営みがある限り、私たち大工の仕事はなくなりません。手法など形は変わるかもしれません。その備えをしっかりと行うこと、そして大工仲間との絆を大切にしていくことを常に心がけています。
だから、大丈夫。未来がどのようになるかはわかりませんが、私たちは大丈夫だ、と自信を持っています。

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